大阪地方裁判所 昭和57年(タ)332号 判決 1983年11月21日
原告(反訴被告)
甲韓男
右訴訟代理人
金田稔
被告(反訴原告)
乙韓子
右訴訟代理人
中村康彦
日下部昇
金高好伸
主文
一 原告(反訴被告)の請求をいずれも棄却する。
二 被告(反訴原告)の請求に基き、原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。
三 原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、一二〇〇万円を支払え。
四 被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。
五 被告(反訴原告)の財産分与の申立を却下する。
六 訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを五分し、その一を被告(反訴原告)の負担とし、その余を原告(反訴被告)の負担とする。
七 この判決は、第三項に限り、原告において金一〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(本訴)
一 請求の趣旨
1 原告(反訴被告)(以下、単に原告という。)と被告(反訴原告)(以下、単に被告という。)とを離婚する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(反訴)
一 請求の趣旨
1 主文第二項同旨
2 原告は、被告に対し、二六〇〇万円を支払え。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
4 右2項のうち、二〇〇〇万円について仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第二 当事者の主張<以下、省略>
理由
一<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告(昭和二〇年九月二五日生)と被告(昭和二六年八月二八日生)は、いずれも大韓民国の国籍を有する者であるが、日本において出生、成育し、昭和四八年九月末ころ、双方の知人の紹介で見合いのうえ、昭和四九年二月一一日挙式し、同年三月二五日、大阪大韓民国総領事に対して婚姻の申告をした(その後、同年四月二九日、ソウル特別市永登浦区長に送付されている)。
原告と被告は、婚姻後、被告肩書地において同棲生活を開始したが、当初は、原告及びその家族と被告及びその家族との間に、特に問題となることはなかつた。
2 被告は、昭和四九年八月ころ妊娠したが、子宮からの出血が一週間位続いたため、住所に近い聖バルナバ病院で診察を受けたところ、卵巣のう腫と診断され、手術のため、同年一〇月二一日同病院に入院し、卵巣の一部摘出手術を受けた。手術後、経過観察をしていたが、その後も子宮出血が持続し、胎児の心音も聞こえないため、更に検査したところ、胞状奇胎(胎盤にできる腫瘍の一種で、良性のものをいう。二、三年以内に再発する悪性のものを悪性じゆう毛上皮腫という。)の疑いがもたれ、同年一一月九日子宮内容掻爬術を受けた結果、胞状奇胎であると確定的に診断された。そのため、被告は、胎児を出産することができなかつた。
被告は、その後抗癌療法を受け、昭和四九年一二月暮ころ退院した。病院の医師の話では、二年位は妊娠を避け、再発しなければ出産できるようになる、その間、通院の必要がある、ということであつた。被告は退院後、原告の勧めにより被告の実家で二か月位養生することになり、実家へ帰つた。
3 ところで、原告の父韓順は、被告の発病を知つて以来、原告と被告を離婚させようと考えるに至り、原告にそのように働きかけていた。当初、原告は、これに反発し、離婚は避けたいと考え、まず、夫婦同居の実体を回復することが先決と思いつき、急に実家での静養を約一か月で切りあげさせて、被告を自宅に連れ戻した。
その際、被告の両親が原告の両親に退院の挨拶に行くというのを強く押しとどめ、更に翌日、被告が自分だけでも挨拶に行つた方が良いのではないかというのを制止したが、これも韓順が知らない間に夫婦の実体を回復しようとの配慮にほかならなかつた。しかし、被告が帰宅したことは、その三、四日後には、原告の両親らに知れ、黙つて帰宅したことについて、被告やその両親が非難される羽目になつた。
その晩、被告は、再び、原告に対して、原告の両親のもとに挨拶に行くことを提案したが、原告は、「行かなくて良い」の一点張りであつた。
しかし、このままではいけないと思つた被告は、翌日、原告の両親のもとを訪れ、病気になつたことなどで迷惑をかけたことを詫びたが、在宅していた原告の母、姉、妹は被告を避けるような態度だつた。その晩、原告は、被告が勝手に原告の両親のもとへ行つたことを怒つたが、被告には、原告が両親と自分との間の板挾みになつて苦しんでいるように感じられた。
その翌日、被告は、前日原告の父が不在であつたため再び原告の両親のもとを訪れ、原告の父韓順に詫びたが、被告は、韓順から、「夫婦そろつて勝手なことばかりしている。あんたの親がまず先に来て、わしの前に手をついて、娘が病気になつたが許して欲しい、本来なら自分達から娘を離婚させてくれと言うのが本当なのに、挨拶にも来ないし、黙つて戻つて来る。息子があんたの面倒をみると言つているのだから、夫婦で好きにしたら良いだろう。しかし、私は嫁とは思わない」と言われる始末で、被告の心遣いは全くの徒労に終つた。その晩も、原告は、被告が勝手に原告の父に会つたことを怒つた。
4 このようなことがあつて、被告と原告の両親らとの間は疎遠になつていつたが(ただし、原告は、勤めの帰途に毎日のように両親宅に寄つていた)、それでも最初のうち、原告は、被告に対して、「妊娠が可能になれば、僕の親も考えを変えてくれるだろう。」、と慰め、被告の両親に対しても、「被告の面倒は一生みます。子供ができれば、僕の両親も気が変わるでしよう」と言つていた。しかし、原告は、韓順を急先鋒とする身内の強く厳しい働きかけに次第に屈して行き、被告との離婚を考えるに至つた。かくして、被告が前記病院の担当医から妊娠しても健康上差支えない旨の診断を受けた直後の昭和五一年六月一七日、原告は、被告を伴つてその実家へ行き、突然、被告の父に離婚の申入れをして、一人で引き揚げた。
5 翌日、被告は、事態が急変したため、急ぎ帰宅してみると、すでに門柱の錠が取り変えられていたが、隣家の協力を得て屋内に入つたところ、被告のスリッパが屑籠に捨てられていた。その晩原告は、飲酒して帰宅したのであるが、予期に反して被告が帰つているのに一瞬たじろいたものの、被告に対し「今度妊娠すると被告は死ぬ。被告を死なせる訳にはいかない。よく考えたが、離婚するより道はない」と、根も葉もない理由を挙げ、離婚の申入れを正当化しようと図つた。
6 なお、同月二一日ころ、被告が、原告の両親のもとを訪れたところ、韓順から、「病気になつた時から、嫁とは思つていない。病気になつた時点で息子に別れろと言つたのに、優しい心を息子がもつたために、今ごろになつてややこしくなるのだ。病気になつて子供が生めないなら、離婚するのが当然だ」と言われた。そこで被告は、妊娠が可能となつたことを告げたが、韓順は取り合わなかつた。
7 その後、原告と被告は、何度も話し合い、原告が一時動揺を見せたこともあつたものの、矢張り最後には別れるように言い、被告がこれに応じないと、同月二二日夜、衣類などを少し持つて、家を出た。そして、同月二七日、原告が帰宅した際、再び話し合つたが、原告は、被告に対して、「実家へ帰れ」の一点張りであつた。なお、原告は同年七月三日、自分の主な荷物(医学書、衣類等)を殆ど持ち出し、その際、被告が話しかけても、「気持は変わらない」と言うだけだつた。
それ以来、原告は、被告のもとに帰宅せず、間もなく韓順方に居住するようになつた。
8 同月七日、双方で話合いを持つたが、原告及び韓順は、被告を一方的に非難し、離婚を主張した。韓順は、被告が離婚を承知しないなら、「親と同居させる。」、「針のむしろに座らせる。姑、小姑が沢山居るから、いびつてやる。」、「難波のモータープール(韓順が経営)で働かせる」などと脅迫めいたことも言つた。
原告は、その後、数回、単独もしくは友人と共に被告のもとを訪れ、離婚するように要求した。被告は、原告との婚姻を継続するため、原告と話し合う努力をしたが、原告は離婚を求めるのみであつた。
また、韓順は、同月二三日以降、頻繁に被告のもとを訪れ、被告に対し、「息子が居ないから、居る必要はない。出て行け。」、「一人で住んでいるなら、家賃を払え。」、「実家に帰らんなら、嫁は夫の両親と同居するのが当然だ。自分の家に来い。うちには姑や小姑が居てうるさい。こき使つてやる。針のむしろの上に座つているようなもんだ。それでもよいか」などと暴言をはき、夜中に来て、近所に聞こえるような大声で被告の悪口を言つたりしたこともあつた。それに、同年八月一一日には、被告に対する嫌がらせとして、原告側の工作により、被告居住の右建物に備付の電話につき、通話停止の措置が講じられた。
原告も、同年九月七日ころに、被告のもとを訪れ、残つていた荷物全部を持つて行つたが、その際、被告に「八月いつぱいでこの家を使えないようにしたので出て行け」などと言い、また、そのころ、被告が生活費として使つていた原告名義の預金の支払を停止させ、その後、被告に生活費を一切渡していない。
9 その後、原告又は韓順は、被告の留守中にその錠を取り変えたり、嫌がらせを続けていたが、昭和五二年六月一六日付内容証明郵便によつて原告と韓順の連名で被告に対し、居住指定権に基づき被告の居所を韓順方に定めたので右に転居するよう催告し、そのころ同郵便は被告に到達した。しかし、被告はこれに応じていない。
その後も、双方の話合いが何度か試みられたが、原告や韓順は離婚を主張するのみであり、昭和五三年初めころ、原告の勤務病院において被告の父海景が原告と会つた際には、海景は原告の不誠実な態度を非難したこともあつた。
10 また、韓順は、被告の居住する家屋がその実質的に経営する○○興業株式会社所有であつたところから、昭和五三年三月三〇日、右家屋から被告を退去させるべく、その賃貸借契約を解除する旨の内容証明郵便を原告に送り、同年六月一日ころに右会社を原告とし、本件原、被告を相手方とする明渡訴訟を提起したこともある。但し、右訴はその後取下げられた。
11 原告は、遅くとも昭和五四年一〇月ころから、Sなる女性と同棲し、同女との間に一児をもうけている。
12 かくして、被告も、現在では、原告との婚姻を継続することはできないと考えるに至つている。
以上のように認めることができ、<反証排斥略>他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
二右の認定事実を基礎として、原、被告の各離婚請求の当否について判断すべきところ、その準拠法は、いうまでもなく法例一六条により原告の本国法である大韓民国法であり、同国民法八四〇条に裁判上の離婚原因事由が列挙されている。しかし、我が国の裁判所が離婚を宣しうるのは、同時に我が国の法律(民法七七〇条)に照らしても、離婚原因事由が存する場合でなければならないから(法例一六条但書)、以下これらの観点に則り検討する。
先ず、右認定事実によれば、原告の父韓順は、被告の病気を契機として、正当な理由もないのに、一途に原、被告の離婚を求めて原告に働きかけていたところ、やがて原告もそれに屈し、被告の担当医から妊娠しても健康上差支えない旨の診断が下された直後の昭和五一年六月一七日、原告は突如として被告に対し離婚を要求するに至り、被告が離婚に応じないとみるや、同月二二日には単身で自宅を出て被告の孤立化を図つたりしたものの、それらの試みも効がないと判るや、手段を選ばず、自ら、または韓順と意を通じて、被告を住居から追い出すため各種の工作や嫌がらせをしたり、本来婚姻継続を前提としてこそ意義を有する居所指定権を逆手にとつて振りかざすなど、被告に対し執拗に離婚を迫つてやまなかつたのであり、しかも果ては被告を無視して他の女性と不貞の関係を結んで同棲し、一児をもうけて憚らなかつたのであつた。被告としても、かかる既成事実を前にして、離婚の決意をせざるを得なかつたのであり、ここに原、被告の婚姻関係は、決定的な破局を迎えたというべきである。してみれば、原、被告の婚姻関係が、現に回復困難なまでに破綻していることは、動かし難しいといわなければならない。よつて、以上の見地から、原、被告主張の離婚原因について考察する。
1 原告主張の離婚原因
右の説示によれば、被告が原告の居所指定に応じなかつた点を捉え、原告を悪意で遺棄したと主張するのは、筋違いというほかなく、所論は採用できない。
そして、原告が被告及びその尊属から著しく不当な待遇を受けたとの主張並びに原告の直系尊属が被告から著しく不当な待遇を受けたとの主張については、一部これにそう<証拠>があるけれども、<証拠>に照らして措信できず、他に右各主張事実を認めるに足りる証拠はない。なお、昭和五三年三月ころ、被告の父海景と被告の叔父が原告の勤務先を訪れ、興奮した海景が机をたたき、病院中に聞こえるような大声で、「医者ができないようにしてやる。院長を出せ。」などと怒鳴り、原告に恥をかかせたとの前掲甲第八号証及び同趣旨の原告本人尋問の結果があるけれども、前掲乙第四号証に照らして、原告に対する著しく不当な待遇と評するに足る事実までは認め難い。
最後に、原、被告間の婚姻関係が破綻していることは前記のとおりであるけれども、右破綻についての責任は、ひとえに原告にあるものといわざるを得ないから、原告は自ら婚姻を継続し難い重大な事由があることを根拠として、被告との離婚を求めることはできないといわなければならない。
以上の次第であるから、原告の離婚請求はいずれも理由がない。
2 被告主張の離婚原因
次に、被告の離婚請求について判断するに、前認定事実によれば、原告は、正当な理由なく家を出て帰宅せず、更には被告をその住居から追出そうとし、婚姻費用の分担をしないものであるから、被告を悪意で遺棄したものと認めることができ、且つ、婚姻継続の余地はない。してみれば、その余の離婚原因について判断するまでもなく、原告の離婚請求は理由がある(大韓民国民法八四〇条二号、日本民法七七〇条一項二号)。
三次に、被告の慰藉料請求について検討するに、右離婚による慰藉料請求の問題は、離婚の効果に関する問題として法例一六条によるものと解すべきであるから、本件においては、大韓民国法が準拠法となるところ、大韓民国民法によれば、離婚当事者の一方は、過失ある相手方に対し、財産上の損害の外精神上の苦痛に対しても損害賠償を請求できるものとされている(八四三条、八〇六条)。
前記のとおり、原、被告間の婚姻関係は、原告の責に帰すべき事由により破綻し、被告は離婚のやむなきに至つたものであるから、原告はこれにより被告が受けた精神的苦痛を慰藉すべき義務があるというべきところ、原、被告の資産状況、被告の寄与、殊に、離婚後における被告の生計維持の必要性をはじめ、正当な理由なく離婚を主張して手段を選ばず被告の追い出しを画策し、長きにわたり数々の嫌がらせをし、更には他の女性と同棲して一児をもうけるなど前記の認定の諸事実並びに本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、被告の右苦痛は一二〇〇万円をもつて慰藉するのが相当である。
四被告は、更に、離婚に伴う財産分与を求めるので検討するに、右財産分与の問題も離婚の効果に関する問題として、法例一六条により、大韓民国法が準拠法となるものと解すべきところ、大韓民国法では、離婚に伴う財産分与請求権に関する規定がない。このことは、同国法上、離婚に伴う財産分与という方法による離婚給付を認めない趣旨と解される。ところが、被告は、右大韓民国法は日本国の公の秩序、善良の風俗に反するので、法例三〇条によりその適用を排除し、法廷地法たる日本国民法を適用し、財産分与を是認すべきであると主張する。
そこで、以下、この点について検討するに、法例三〇条による外国法適用の排除は、外国法を適用した具体的結果が我が国の公序、良俗に反する場合、すなわち、我が国の私法的社会生活の安全を侵害する場合にやむを得ず認められるものであり、国際私法の一般原則に対する例外であるから、同条の適用はあくまで慎重かつ厳格になされなければならないのであつて、外国法の内容を抽象的に検討して、それが個人の尊厳や両性の本質的平等の原則に反するというような理由で、その適用を排除することは、国際私法の存在自体を否定するものであり、許されないといわなければならない。
なお、財産分与を認めていない大韓民国民法の建前について一瞥すると、同国法では、家父長的家族制度に包摂された婚姻関係秩序の中における財産上の諸制度の一環として離婚に伴う損害賠償請求権(八四三条、八〇六条)に関する特別規定をもうけていることは注目に価し、婚姻当事者は、日本国に居住している場合であつても、法例一六条によりその効果を享受しうる地位にあることを慮外に置くことは相当でない。
そこで、これを本件について考察すると、前記のように、被告は原告に対し、慰藉料として一二〇〇万円を請求しうるところ、同金員は、婚姻中における被告の寄与、将来における被告の生計の維持まで考慮されているのである。
してみれば、本件において大韓民国民法を適用して被告に原告に対する財産分与請求を認めないとしても法例三〇条にいう公の秩序又は善良の風俗に反するとまではいえない。
よつて、被告の財産分与の申立は失当である。<以下、省略>
(石田眞 松本哲泓 村田鋭治)